昭和4年(1929)
関西学生拳闘連盟の結成に並行して、猪飼永太郎、三谷幾太郎、橋本晴雄、南条実などの発起で拳闘部を柔道部内に設立、部活動を開始する。
昭和5年(1930)
柔道部より独立、関西大学拳闘部として活動を開始する。
第3回全日本学生拳闘選手権大会で南条実選手がウェルター級チャンピオンを獲得。
昭和6年(1931)
第6回全日本拳闘選手権大会で三谷幾太郎選手がバンタム級、南条実選手がウェルター級チャンピオンを獲得。
昭和8年(1933)
第8回全日本学生拳闘選手権大会で飯野重則選手がライト級チャンピオンを獲得。
昭和9年(1934)
第5回全日本学生拳闘選手権大会で安藤釘三選手がフライ級、南勝太郎選手がフェザー級チャンピオンを獲得。
第9回全日本拳闘選手権大会で平岡三治選手がバンタム級チャンピオンを獲得。
昭和12年(1937)
第12回全日本拳闘選手権大会で浜口大二郎選手がフライ級、稲田信雄(洪在浩)選手がフェザー級チャンピオンを獲得。
昭和21年(1946)
全日本アマチュア拳闘連盟が結成され、副会長に猪飼永太郎、理事に三谷幾太郎が就任。
昭和22年(1947)
復活した第1回関西学生ボクシングリーグ戦で3位。
昭和23年(1948)
第2回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。大学王座決定戦では日大に5−3で惜敗。
昭和24年(1949)
第3回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。
東西対抗戦に5選手が出場。対抗戦は7−4で西軍が勝利、関大の5選手は全員が勝ち星をあげた。
昭和25年(1950)
第4回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。第4回全日本大学王座決定戦では5−4で日大に惜敗。
第20回全日本ボクシング選手権で福本昌三選手がバンタム級チャンピオンを獲得。
昭和26年(1951)
第5回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。
第21回全日本ボクシング選手権で福本昌三選手がバンタム級チャンピオンを獲得。
第1回ハワイ遠征に福本昌三選手がバンタム級選手として選抜派遣。
昭和27年(1952)
第6回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。大学王座決定戦では明治大に6−3で敗れる。
昭和28年(1953)
第7回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。
第一回日本ゴールデングローブで福本昌三選手(OB)がバンタム級チャンピオンを獲得。
第8回国体で8人の選手が各県の代表選手として出場。
昭和29年(1954)
第8回関西学生ボクシングリーグで2位。
第24回全日本ボクシング選手権で西尾俊三選手(OB)がライトミドル級チャンピオンを獲得。
昭和30年(1955)
第9回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。大学王座決定戦では5−3で日大に敗れる。
昭和31年(1956)
第10回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。
日米対抗ボクシング競技会に稲葉治雄選手がフェザー級で出場、勝利。
東西対抗戦に5選手が出場。対抗戦は西軍が勝利。
昭和32年(1957)
第11回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。
第11回全日本大学王座に出場、中央大学と対戦するも惜敗。
東西対抗戦に松田秀司(バンタム級)他4名が出場。
第12回国体に大阪代表として牧昭男(フライ級)、松田秀司(バンタム級)、加島宗祐(フェザー級)、石田節夫(ライト級)が出場。他、岐阜代表として小川悦毅(フェザー級)が出場。
極東米軍と大津キャンプで日米対抗戦に松田秀司、加島宗祐が出場。
昭和33年(1958)
第12回関西学生ボクシングリーグ戦で2位。
第28回全日本ボクシング選手権で牧昭男選手がフライ級、西尾俊三選手(OB)がヘビー級でチャンピオンを獲得。
第3回アジア競技大会で牧昭男選手がフライ級、西尾俊三選手がヘビー級で優勝。
昭和35年(1960)
第30回全日本ボクシング選手権で友崎良二選手がライト級チャンピオンを獲得。
昭和36年(1961)
第15回関西学生ボクシングリーグ戦で優勝。
昭和37年(1962)
第16回関西学生ボクシングリーグ戦で2位。
昭和38年(1963)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
関西大学ボクシング部OB会設立、発足総会を開く。
昭和39年(1964)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
昭和40年(1965)
近畿学生ボクシングリーグ戦で3位。
第35回全日本ボクシング選手権に山下耕平選手がフライ級、三竿義美選手がウェルター級で出場。
第20回国体に岡田邦明選手がフライ級、松井俊次選手がフェザー級、植田保弘選手がライト級、長尾正男選手がライトウェルター級、三竿義美選手がウェルター級、小谷昌平選手がライトミドル級で出場。
昭和41年(1966)
近畿学生ボクシングリーグ戦で3位。
第21回国体に山下耕平選手・治幸彦選手がフライ級で出場。
昭和42年(1967)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
第37回全日本ボクシング選手権に小谷昌平選手がライトミドル級で出場。
第22回国体に治幸彦選手がフライ級で出場。
昭和43年(1968)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
第38回全日本ボクシング選手権に治幸彦選手がフライ級で出場。
第23回国体に治幸彦選手がフライ級、糸永純選手がライト級、白石文則選手がライトウェルター級で出場。
昭和44年(1969)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
第39回全日本ボクシング選手権に神東孝造選手がライトフライ級、宇留島美好選手がフライ級、白石文則選手がライトウェルター級で出場。
第24回国体に治幸彦選手(OB)がバンタム級、坂本豊次選手がフライ級で出場。
昭和45年(1970)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
第40回全日本ボクシング選手権に白石文則選手がライトウェルター級で出場。
第25回国体に治幸彦選手(OB)がバンタム級、前島庫治選手がフェザー級で出場。
昭和46年(1971)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
第41回全日本ボクシング選手権に神東孝造選手がフライ級で出場。
第26回国体に古田英二選手がバンタム級で出場。
昭和47年(1972)
近畿学生ボクシングリーグ戦で2位。
日米対抗戦に神東孝造選手がフライ級で出場。
第27回国体に宇留島美好選手がバンタム級で出場。
昭和48年(1973)
第27回近畿学生ボクシングリーグ戦で藤本雄士選手が敢闘賞を受賞。
日米対抗戦に藤本雄士選手がバンタム級で出場。
第28回国体に平松秀樹選手がフライ級、藤本雄士選手がバンタム級、住吉孝一選手がライト級で出場。
昭和49年(1974)
第28回近畿学生ボクシングリーグ戦で藤本雄士選手が全勝、技能賞を受賞。
第29回国体に平松秀樹選手がフライ級、藤本雄士選手がバンタム級、住吉孝一選手がライト級で出場。
東西対抗ボクシング大会に平松秀樹選手がフライ級で出場、敢闘賞を受賞。
藤本雄士選手、全日本バンタム級7位にランクされる。
昭和50年(1975)
近畿学生ボクシングトーナメントで決勝進出。平松秀樹選手が敢闘賞を受賞。
第45回全日本ボクシング選手権に平松秀樹選手がライトフライ級で出場。
平松秀樹選手、全日本ライトフライ級4位にランクされる。
昭和51年(1976)
第2回タイ・キングスカップに平松秀樹選手がライトフライ級で出場。
第30回近畿学生ボクシングリーグ戦で藤田晴康選手が4戦全勝、敢闘賞を受賞。
昭和53年(1978)
第32回近畿学生ボクシングリーグ戦で2部5位。入替戦で京産大に敗れ、3部降格。
昭和55年(1980)
第34回近畿学生ボクシングリーグ戦で3部優勝。入替戦で大工大に敗れ、2部昇格ならず。
昭和56年(1981)
第35回近畿学生ボクシングリーグ戦で3部優勝。入替戦で龍谷大に勝ち、2部昇格。
第36回国体に高内寿晴選手がフライ級で出場。
昭和57年(1982)
第36回近畿学生ボクシングリーグ戦で2部5位。入替戦で近大Uに敗れ、3部降格。
昭和59年(1984)
第54回全日本ボクシング選手権に杉崎正明選手がフライ級で出場。
第39回国体に杉崎正明選手がフライ級で出場。
昭和60年(1985)
第39回近畿学生ボクシングリーグ戦で3部優勝。
第55回全日本ボクシング選手権に杉崎正明選手がフライ級で出場。
昭和61年(1986)
第40回近畿学生ボクシングリーグ戦で3部優勝。入替戦で大体大に勝ち、2部昇格。
昭和63年(1988)
第42回近畿学生ボクシングリーグ戦で2部2位。
平成元年(1989)
第59回全日本ボクシング選手権に岡田琢史選手がフェザー級で出場。
平成2年(1990)
第44回近畿学生ボクシングリーグ戦で2部優勝。入替戦で同大に敗れ、1部昇格ならず。
第45回国体に山本仁士選手がバンタム級で出場。
第60回全日本ボクシング選手権に山本仁士選手がバンタム級で出場。
平成3年(1991)
第45回近畿学生ボクシングリーグ戦で2部優勝。入替戦で京産大に勝ち、1部昇格。
第46回国体に山本仁士選手がバンタム級で出場、3位入賞。
平成4年(1992)
第46回近畿学生ボクシングリーグ戦で1部6位。入替戦で京産大に敗れ、2部降格。
平成6年(1994)
第48回近畿学生ボクシングリーグ戦で2部6位。入替戦で大経大に敗れ、3部降格。
平成9年(1997)
スウェーデン・BOX・OPENに福本博和選手がフェザー級で出場。
第52回国体に福本博和選手がフェザー級で出場、3位入賞。
平成10年(1998)
第53回国体に別所徹選手がライトミドル級で出場。
第68回全日本ボクシング選手権に別所徹選手がライトミドル級で出場。
平成11年(1999)
第54回国体・近畿ブロック大会に伊藤和彦選手がライトウェルター級で出場、優勝。しかし大阪チームの本戦出場ならず。
平成12年(2000)
第55回国体に岩本陽輔選手がフェザー級、山崎晃選手がライト級、伊藤和彦選手がライトウェルター級で出場。岩本陽輔選手がベスト8獲得。
第70回全日本ボクシング選手権に山崎晃選手がライト級で出場、ベスト8獲得。
平成13年(2001)
第56回国体に森井武史選手がフライ級で出場。
第71回全日本ボクシング選手権に山崎晃選手がライト級で出場、3位入賞。
平成14年(2002)
第57回国体に米川拓児選手がウェルター級で出場。
平成15年(2003)
フィンランド・タンマー国際トーナメントに西田努選手がライトウェルター級で出場、銅メダルを獲得。
平成16年(2004)
第59回国体に宮圭吾選手がウェルター級で出場。
平成17年(2005)
第59回近畿学生ボクシングリーグ戦2部優勝。入替戦で京産大に勝ち、13年ぶりの1部昇格。
第60回国体に小形一平選手がライト級で出場。
第75回全日本ボクシング選手権に宮圭吾選手がミドル級で出場、3位入賞。
平成18年(2006)
第60回近畿学生ボクシングリーグ戦1部で45年ぶり、11回目の優勝。ライト級小形一平選手が最優秀選手賞を受賞
第61回国体に小形一平選手がフェザー級(奈良)、小倉光浩選手がライトウェルター級(奈良)、金龍哲選手がライトフライ級(広島)、和田聖矢選手がライトフライ級(福井)で出場。金龍哲選手が3位入賞。
第76回全日本ボクシング選手権に和田聖矢選手がライトフライ級、藍野憲作選手がミドル級で出場。
第60回全日本大学王座決定戦で関東リーグ優勝校の日本大学と対戦、0勝11敗で敗れる。
平成19年(2007)
第61回近畿学生ボクシングリーグ戦1部準優勝。
第62回国体に毛利崇正選手がライト級(大阪)、小形一平選手がフェザー級(奈良)、合田幸司朗選手がライトウェルター級(兵庫)で出場。 毛利、合田選手がベスト8で5位入賞。
第77回全日本ボクシング選手権に小形一平選手がフェザー級で出場。
平成20年(2008)
第62回近畿学生ボクシングリーグ戦1部で2年ぶり、12回目の優勝。ライト級小形一平選手が最優秀選手賞を受賞
第63回国体に宮本昌季選手がバンタム級(香川)、岡崎郁也選手がフェザー級(高知)で出場。宮本選手が3位入賞。
フィンランド・国際タンマーボクシングトーナメント(AIBA公認)にバンタム級で宮本昌季選手、フェザー級で小形一平選手、Lウェルター級で合田幸司朗選手が出場。 小形選手が準優勝で銀メダルとBEST BOXER賞獲得、合田選手、宮本選手が銅メダル獲得。
第78回全日本アマチュアボクシング選手権大会に宮本昌季選手がバンタム級、田村拓之選手がライト級、小倉光裕選手がミドル級で出場
第62回全日本大学王座決定戦で関東リーグ優勝校の東京農業大学と対戦、1勝10敗で敗れる。
平成21年(2009)
第63回近畿学生ボクシングリーグ戦1部準優勝。
第64回国体に宮本昌季選手がバンタム級(香川)、岡崎郁也選手がフェザー級(高知)、小形一平がライト級(奈良)、合田 幸司朗選手がライトウェルター級(兵庫)、田嶋辰規選手がウェルター級(福岡)で出場。
第79回全日本アマチュアボクシング選手権大会に宮本昌季選手がバンタム級(四国)、岡崎郁也選手がライト級(四国)、合田幸司朗選手がライトウェルター級(近畿)で出場。岡崎選手が5位入賞。
2009年度アマチュア全日本ボクシングランキング(日本アマチュアボクシング連盟発表)で、岡崎郁也選手がライト級6位、宮本昌季選手がバンタム級9位、合田幸司朗選手がLウェルター級9位にランキング。
平成22年(2010)
第64回関西学生ボクシングリーグ戦1部で2年ぶり13回目の優勝。バンタム級宮本昌季選手(経B)が最優秀選手賞を受賞。
第65回国体に宮本昌季(経B)選手がフライ級(香川)、宮本昌季選手(文A)がバンタム級(大阪)、徳山正一選手がウェルター級(大阪)、寺地拳四朗選手がLフライ級(奈良県)で出場。寺地選手が3位入賞。
第80回全日本アマチュアボクシング選手権大会に宮本昌季選手(経B)がフライ級(四国)で出場、3位入賞。
第64回全日本大学王座決定戦で関東リーグ優勝校の東京農業大学と対戦、3勝8敗で敗れる。
2010年度アマチュア全日本ボクシングランキング(日本アマチュアボクシング連盟発表)で、宮本昌季選手(経B)がフライ級4位、寺地拳四朗選手がLフライ級8位にランキング。
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